たかんな

俳句会

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今月の主宰の一句


六月来美しき切手のならぶ文

千嘉子


新着・更新情報

今月の巻頭句、 エッセイ・津軽歳時記のページを 更新しました

 主宰の一句、俱子の一句、お知らせ、添削の現場より、竹の韻き、現代俳句の四季、翠竹抄鑑賞を更新しました。
(更新日7/7/3)


令和6年鍛錬句会の様子はこちら

2025えんぶり俳句大会結果はこちら 

えんぶりを鑑賞に来られた皆様の様子を少しだけUPしました(7/2/22) 

この様子は俳句四季6月号に掲載されました。


俳人協会の青森県支部長に吉田主宰が就任いたしました。


えんぶりにいらっしゃった皆さんの感想や吟行句はこちらからどうぞ

「泉」主宰 藤本美和子様
「パピルス」代表 坂本宮尾様 他

たかんな俳句会

句会一覧

八戸本部句会 第一火曜日 13時
東京句会 随時
横浜平戸句会 月一回
山脈句会 月一回吟行
堅香子句会 第二火曜日
下長句会 第一水曜日
東雲句会  第二月曜日
天聖寺句会 第二水曜日
竹あかり俳句会 第二木曜日
三沢句会 第三火曜日
シーガル句会 第一月曜日
泉句会 第三火曜日
紬句会 第三水曜日
竹の風句会 通信句会 月一回
さざんか句会 随時 月一回

参加申し込みはたかんな俳句会

0178-24-3457まで

はちえきキャンバス


知新句会 第一木曜日

初めての俳句 第三木曜日

チャレンジ俳句第一,三金曜

俳句入門教室 第一金曜

詳細ははちえきキャンバス
八戸市十八日町46

0178-46-3025まで



 はちえきキャンバス 

今月の巻頭句

 
聞きて飽かぬ咀嚼の音や牧の春 


小笠原イク子


略歴
平成21年 三沢句会入会 
平成24年 「たかんな」 入会 
平成26年「たかんな」 同人

運動不足解消の為、日頃愛犬と一時間程散歩をします。句材探しも兼ねて地元観光ホテル敷地内の公園には週二のペースで出かけます。その中に雌馬二頭の小さな牧場があり、柵越しにふれあうことができます。春の兆したこの日、馬の休むことなく秣を食む音を聞きながら黒く大きな目を眺め、しばしゆったりした時を過しました。
体調を崩して入院中に主宰から巻頭のメールをいただき、治療が始まったばかりなのに、完治した気分になりました。巻頭ありがとうございました。


聞きて飽かぬ咀嚼の音や牧の春

小笠原イク子


山裾まで広がる牧場の柵に寄り、馬たちの草を食む音を聞くのは良いものである。咀嚼の音とは、生物が生きるための食料をかみ砕くだいている音。「聞きて飽かぬ」と、その音が心に沁み、いつまでも聞いていたいのは、まさしく生きている音だからなのだろう。

(吉田千嘉子) 

 

 

 


 


令和7年度主な俳句大会

 

☆7月27日
俳句懇話会十和田大会(十和田
投句締切 6月25日
「山椒魚」夏季雑詠各1句 

☆8月31日
第79回県俳句大会
投句締切7月29日消印有効
宿題 「紫蘇」「当季雑詠」
特別選者   中原道夫氏

☆9月20日
第43回県下深浦俳句大会
投句締切8月20日
宿題A「夏季雑詠」
宿題B「跣足」
宿題C「郷」(詠み込み)

☆9月発表
俳人協会
第36回東北俳句大会秋田大会
投句締切ました

おめでとう各地大会報告


青森県俳句賞に野村英利さんが選ばれました。

第31回全国俳誌協会俳句コンクールの協会賞第一席に佐藤霜魚さんが入賞いたしました。
美術室静かに熟れてゆくバナナ
更に
明日切るや寄付するための髪洗ひ
が佳作と山本千代子氏特選となりました

おめでとうございます。





 

現代俳句の四季

各誌令和7年6月号より

吉田千嘉子


散る花を一身に浴び人悼む                    

片山由美子 

 俳句「巻頭作品50句」より

散る花を一身に浴びるという豪華な場面。そんな時に人は何を思うだろう。美しい花びらに漱がれ愉悦に浸るということが大多数ではなかろうか。が、作者は亡き人を悼んだのだ。どんなに美しく咲き誇っても散る時は一気に散る桜の潔さ。桜の特性を知りながらその中に身を置き、亡き人を思う。最高の悼み方と言えよう。


うららかや野に得しものを分け合へる   

村上喜代子 

 俳句「作品16句」より

山菜の季節は私も忙しい。姫竹の子、こごみ、蕨など、沢山採ればお裾分けもする。まさに「野に得しものを分け合へる」なのである。デトックス効果や抗酸化作用、免疫力アップなど良いことづくめの山菜は、人類の最初から食べられてきた。自然から頂くものを皆で分け合って命を繋いできたのだ。厳しい冬を経て春を喜びながら山菜を分け合う。人間に原初の優しさが戻るひと時である。

母の日の妻へワインを選びけり               

 三村 純也 

 俳句「第59回蛇笏賞受賞作」より 

母の日へのプレゼントは子どもから、が当たり前なのだが、掲句は「母の日の妻へワイン」という。作者は奇特なご主人である。家の中のことや夫婦の有り様は外からは分からないのだが、こんな句に会った時に垣間見えるのである。子を育てるということの大変さを理解し、さらに、立派に育ててくれた感謝もあるだろうが、中々出来ることではない。その感謝を「ワインを選ぶ」と、粋でもある。

 ふるさとを捨てて生きたる素足にて       

 市堀 玉宗

 俳句界「作品10句」より 

かつてそれほども深く考えずに都会に出、仕事を持ち、生まれ故郷とは離れた地に暮らすことになった人は多い。ふとある時から、例えば親が年老いたと思った時からか、「ふるさとを捨てた」という気持ちが浮かぶようになる。私自身北海道に生まれ青森県に住むその一人。そして、この句の要は「素足にて」。着の身着のまま、裸一貫、などを思わせる。己一人の力で他郷に生きているのである。

 ライラック静かな午後の風通る              

中森 千尋 

 俳句四季「花の歳時記」より

ライラックは札幌市の花、北国の花である。リラとも呼ばれ芳香のある薄紫のライラックは北国の初夏を告げる花でもある。梅雨がないとされる北海道の六月のさわやかさと相まって好感度が高い。どこの庭にもあるライラックの香が風に乗ってくる「静かな午後」が心地良い。

水鉄砲きららかに胸撃たれけり               

岸本 由香 

 俳句四季「わが道を行く」より

「きららかに」に惹かれた。夏の眩しい太陽光の中に水鉄砲の水が煌めきながら発射されて、日差しと水の競演が目に鮮やかに浮かぶ。水鉄砲に撃たれる句は多いが「きららかに」が一線を画した。夏の風物詩である水鉄砲の、水の飛ぶ刹那を一つの情景として詠み止めたのは手柄。

 梅雨寒や荷として豚の運ばれて                 

才野 洋 

 俳句四季「第一句集物語」より

猫や犬などペットとして飼われている動物を、荷とはあまり言わないが、私たちの日常の食料となる豚や牛は荷となってしまう、という現実。畜産業に従事して豚や牛を育てている人たちは達観して受け入れなければ仕事にならないことでもある。「荷として豚の運ばれて」は少し辛いが、「梅雨寒」の季語がその辺りのやるせなさを表出している。

 木々芽吹く日当りながら山の雨          

ながさく清江 

 俳壇「円熟の句境」より

早春の野山の息吹を感じる一句である。雪が解けると日ごとに春色が濃くなり、冬の間は硬い蕾であったものがみるみるうちに膨らんでくるのである。このことを遥か昔から約束を違わず、自然界で毎年行われてきたことは奇跡に近いと思う。そんな日のひとときの「日当たりながら山の雨」を言い留めて、その情景の何と美しいことだろう。

 オホーツクへとまだまだのびる青岬            

岬 雪夫

 俳壇「円熟の句境」より 

日本に面しているオホーツク海は、宗谷岬から根室半島の先の納沙布岬までの海域をいう。オホーツク海は世界でも有数の漁場であるという。掲句の青岬は、「まだまだのびる」という措辞から、オホーツク海に角のように突き出ている納沙布岬かと思われる。新緑の季節にこの岬に立ち、このように感じたのであろう。俳諧味と雄大さを感じる気持ちの良い句である。

雪平を袖摑みして春火鉢                          

 和田 順子 

 俳壇「四季巡詠33句」より 

タイムスリップをして、粋な女将さんのいる江戸時代の茶の間を想像してしまう。雪平も春火鉢も庶民の生活に長く関わり、今でも愛好者がいる。そして「雪平を袖摑みして」という動作が良く、日常的に和服の生活の人には普通にありそうで艶っぽい。日本的な情趣に惹かれた。


月刊俳句誌たかんな7月号より抜粋

竹の韻きⅠ

 竹籟集(五月号)より

 鈴木 興治

 わが干支をななたびたまひ雛飾る      難波 政子

 「干支をななたび」と言えば、作者も私たちとほぼ同年代なのだろう。雛は子女の息災を祈る主旨で行われてきたので、思いをかけられる存在がおありなのかもしれない。発祥は古いが、現在のような飾り方になったのは江戸時代になってからだ。何しろ二百五十年もの間戦いがなかった珍しい平和な時代だから、色々な文化が育まれた。この時代がなかったら、文化の面だけでなく、いま普通に食べている寿司や蕎麦などの人気の食べ物もこんな形になっていなかったかもしれないのだ。

 胸中に雪解の一句康治の忌                   岩本 律子

 小林康治師に師事された作者は、横浜句会の大ベテランである。当時のことは、たかんな先輩の田村章子さんからお聞きしていたが、とにかく多士済々だったという。康治師は突然亡くなられ、その後藤木師の下で平井千代子さんなどとたかんなの横浜句会を支えてこられた。康治師の雪消の句と言えば、「恋雀雪消ひそかにはじまりぬ」があるが、作者の胸中にある句は何だろう。

 燗酒やかろがろと死を口にして          藤田千恵子

 子供のころ「死など口にしてはいけません」と親に言われた。「かろがろと口にすべき」ことではなかった時代だったのである。しかし八十路ともなれば、知人や仲間が次々に亡くなっている。長寿の時代とはいえ、死はそう遠くのことではない。夕べの語らいの場、燗酒も入っていれば、話の中に入ってくるのは仕方がないことなのだ。

 長々と寝そべつている合格子            小野寺和子

 そんな時代があったなあと、懐かしむ人が多いに違いない。合格の掲示版の前に立った時の、あの緊張感は思い出してもみてください。受験番号を確かめた時の喜びは何にも代えがたいもの。私はあしもとに沈丁花が咲いていたことなども妙に覚えている。下宿に戻って畳の上に寝そべったかどうかは覚えていないが、掲句は大納得なのである。

 前傾のわが身の影よ月おぼろ           畑内節子

 おぼろ月夜に歩いていると、自分の影が映っていてそれが妙に前傾している。このところあまり姿勢がよくない、と言われているのを実感してしまった。直そうとしても、いつの間にか戻ってしまっている。同じ時間に毎朝通る、同年代の男性がすっきりと背を伸ばして歩くのをみて、あれが見本と娘が言っている。

 バス停の二つ先まで春来る          村田加寿子

 「バスを待ち大路の春を疑はず」という波郷の有名な句がある。バス停の時刻表はあまりあてにならないから、結構長時間待つことになる。しかし考えようでは、季節を身に感じて悪くはないとも思っている。作者はよくバスを利用されているようで、そのたびに季節を感じて掲句のような佳句が浮かぶのだろう。「二つ先まで」の措辞がにくい。

 春障子ますます遠き針の穴           三野宮照枝


 障子からやわらかな春の日が漏れてくる。そこは針仕事をする場所らしい。素敵な場所で素敵な時間だ。「針の穴」は狭きもののたとえとしてよく使われる言葉だが、その狭き穴がますます遠くなるのは、針仕事をする人には現実問題だ。昔祖母から助けを求められたことが度々あっが、助けを求める相手がいなければ、四苦八苦ということになってしまうのである。

 また一つ消ゆる老舗や春の雷           髙田美津子


 よくテレビで紹介される創業百年以上の店がある一方、時代のながれの蔭で寂しく消えてゆく店もある。掲句の店は何を扱っている老舗なのだろう。このところ廃業する店の数の多さには驚くが、その一つ一つにドラマがあるに違いない。今年も春の雷を聴いたが、突然で意外に厳しい雷だった。そんな風に感じたのかも知れない。
 

風とらへ龍のごとくに野火走る           宝 美佐子


草原がすくなくなってしまったとテレビが報じていた。野焼きの風景も少なくなっているようだが、その現場を一度だけ見たことがあった。「命がけだよ」と言った人がいたのを覚えている。特に風には気を使っていて、突然強風が吹くとまるで生き物のようにおそってくるとも言っていた。掲句はそんな瞬間をとらえていて,この春の山火事の現場にもおそらく見られたに違いない。
 

春北風や寄生木毬のごとく群れ            春日 祐

 
寄生木は低山には見られない。初めて見たのはたかんなの鍛錬会で十和田湖に行った時だった。女性二人の記念碑のあるところから湖畔を散策していると、寄生木の群れている木立の中を通った。確かに毬のようだった。その時は春北風は吹いていなかったが、記憶に残っている。今考えると参加されていたのは懐かしいメンバーだった。袋回しもその時の会ではじめて経験させていただいた。




  

翠竹抄鑑賞 

           吉田千嘉子

 

   暮れてなほ堤に長き花明り               池上美海

堤に沿って桜を植え、花見人が歩いてそれを強固にする目論見であったというが道理でと思う。お日さまの下で心ゆくまで桜を楽しんだ作者が、暮れ方にまたその美しさを「堤に長き花明り」という形で味わった。余情溢れる句であり、咲いたどの一刻も美しい桜を言い得ている。

 掃き集め花を弔ふ朝かな           片山静子

満開のあとはその分の花が落ちる。その花を掃き集め、ねぎらいながら弔う作者。日本中の桜の花の、満開は誰もが喜び騒ぎ一句にしようとするが、花びらが落ちたあ
とを「弔ふ朝」として詠んだ。心に残る句である。


大鍋の湯気に色立つ若布かな           河村仁美

 湯気で熱に当てると、サアーッと美しい緑色に変わる生若布。酢醬油で食べると歯応えも香りもよく絶品。「湯気に色立つ」という措辞がその鮮やかさを際立てている。
 

 訳もなく児は走るもの端午の日             村田充子 

 「訳もなく児は走るもの」に大いに共感する。目が離せない時期でもあるが、児にとってはきっと訳があるのだろう。「端午の日」が効いている。

 青田風に押され電車は夕陽へと              中澤玲子 

青田を靡かせてゆく風筋の清々しさ。その風に押されて電車が夕陽に向かう日暮れ。これも日本の風物詩である。

 靴擦れの治らぬままの養花天            星私虎亮 

 靴擦れが治らず辛いところに養花天という季語を持って来た。完治して花見に、という内心が見える。

 花疲れ素うどん喉を滑りゆく             佐藤霜魚

花疲れはまた人疲れでもある。ぐったりした体に、素うどんだけは喉を落ちてゆくのである。

 明日までは待てぬ楤の芽掻きにけり           小笠原イク子 

楤の芽は山菜の王様。育つのを待っていてはすぐに誰かに採られる。「明日までは待てぬ」、によく出ている。

 泳ぎ方すぐに覚へし鯉幟                       今田明男 

 揚げたばかりの鯉幟が風に泳いでいる。「泳ぎ方すぐに覚えし」という擬人化が上手く、俳諧味がある。
 

咲き満ちてなほあえかなる山桜              中村静江

 一本一本独立して山中にある山桜は満開となっても豪華とは違う。「咲き満ちてなほあえか」が言い留めている。
 

 里山の雑木に透けて花辛夷                    川越 研 

辛夷は春に先駆けて咲き、まだ芽吹きの雑木林に白い花が存在感を示す。透けて見えるところを捉えて秀逸。

 追憶を揺さぶるやうに半仙戯                 山田あや女 

半仙戯、つまりぶらんこに思い出がある人は多いだろう。子ども心に揺らせば追憶のひとときとなる。

 花冷のなかなか癒えぬ傷ひとつ               南美智子 

 切り傷なのか、もしくは心の疵なのか、しくしくと痛む。花冷えが、かえって疵を深くするようだ。
 

 蒲公英やつひにくるりと逆上り                藤木和子

逆上りは子どもが成長途中に乗り越える一つ。「つひにくるりと」に嬉しさが出ている。蒲公英がやさしい。

 竹箒抱へ聴き入る初音かな                   畑中美子 

初音は誰しも嬉しい。じっと立ち止まって聴き入る。それが「竹箒抱へ」であることに、日常との接点がある。


囀や校舎静かに授業中                      髙田栄子

 静かに授業中の生徒にも先生にも囀は届いている。

 藤垂るる地へとまつすぐ香を放ち            及川明子 

「地へとまつすぐ」に藤の見事な房が想像される。

 空泳ぐ鯉幟子ら知りたるや                  山本久美子

首都圏では見かけなくなった鯉幟。郷愁のある句。

 杣道の分かるるところ雪割草                佐藤 篤 

杣道と雪割草の取合せに山の春が描かれている。

 蕗味噌の出来確かむる手窪かな          對馬のり子

よくある情景だが「手窪」で決まった一句。

 何回も巻きてほどきて春ショール          蛯名文子 

実際の状況を素直に詠み共感を覚える。


 軽やかな足のこなしや春コート              岩舘洋子 

春コートの「足のこなし」に視点をあてた所が良い。

 ずれてゐるアンパンの臍町のどか             五十嵐礼子 

 アンパンの臍のずれに着目して俳諧味ある句に。




添削の現場より  吉田千嘉子

   

原句      日盛りや昼間は陰も坐りをり

夏の日差しの強さは影を濃くし存在感を高めます。それを「陰も坐りをり」と詠んだのでしょう。ただ、陰は日の当たらない場所を差しますので、句意から影のことかと。また、日盛りには昼間の意味も入っています。以上を解消し「影が坐る」という発見を生かします。

添削句      日盛りの影はどつしり坐りをり




原句       ほらあそこ白き小さき水芭蕉

 誰かに呼びかけているような、散文的な詠み方です。やはり、俳句の形で詠むことを心がけましょう。「ほらあそこ」は「見渡せば」とし、「白き小さき」は「白く小さき」とします。


添削句        見渡せば白く小さき水芭蕉



原句       花巡り二人の顔も綻びぬ

ご夫婦か友人か、二人で桜を巡り歩いたのですね。ただ、「二人」という言葉は、上手に使わないと句が甘くなり世界が狭くなります。「道行く顔」として、誰もかれもが花を喜んでいるとしましょう。また「綻ぶ」を平仮名にすると硬さが抜けます。


添削句      花巡り道行く顔のほころびぬ



原句       祖父宥め泣き泣き通ふ一年生

 正確に詠むと「祖父宥め」は「祖父に宥められ」となり、字余りになってしまいます。主体は「泣き泣き通ふ一年生」ですから、宥める人が誰かまでを特定しなくても良いです。俳句は省略が肝心です。


添削句        宥められ泣き泣き通ふ一年生



原句        脱ぎ捨つる山着の荒さ花疲れ

 山着はアウトドアなどに身につけるものであり、花疲れという季語には合わないように思います。鳥曇に替えると、「上五中七」の内容に目が行き、山帰りの疲労感などが伝わります。「荒さ」も「粗さ」の方が良いかと。

添削句      脱ぎ捨つる山着の粗さ鳥曇



原句       薄々と暮れゆく街やさみだるる

 「さみだるる」は五月の長雨、梅雨のこと。しとしとと一日中降っているのに、「薄々と暮れゆく」情景はピンときません。上五中七の情趣ある景色には「花うつぎ」の白さが合います。


添削句      薄々と暮れゆく街や花うつぎ

藤木俱子の一句

夏神楽盆のコップに酒溢れ

俱子


昭和54年作

神明宮の祭は夏越の祭で、茅の輪がかかり、神楽が行われる。近在から集まった農夫が神楽面を被ると、たちまち神々に変身する。


日本現代俳句シリーズ八期21

藤木俱子集より


photo by Takao Iwamura
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