津軽歳時記

 白神山地
 【カワセミ(翡翠)】

草野力丸


 カワセミは全長約17cm。嘴は比較的長く魚捕りに適している。耳と喉が白く、腹は明るい褐色、足は赤い。幼鳥はやや褪せた黒っぽい色をしている。巣は土崖に横穴を掘っている。渓流や池沼などに生息。縄張り意識が強く、同じ場所で、同じ個体がいることが多い。瞬膜をもち、水中ダイビングの際に目が覆われる。渓流や湖沼から見下す木の枝などに止まって、獲物の動きをみて、素早くダイビングの行動を行うと共に、水面を一直線に飛んだりする。羽色が鮮やかで、翡翠(ひすい)のような体色から、飛ぶ宝石といわれ、その美しさは、古代から注目されてきた。カワセミは光の具合で色の変わるエメラルドグリーンが美しい。頭から尾にかけて背面が鮮やかな青緑色をしている。この色は色素によるものではなく、構造色といわれるもので、羽毛の表面の細かな構造に光が当たる際に複
雑に反射することで人間の目に様々な青を見せている。
 私は昭和24年に深浦町の長慶平開拓に入植したが、今よりもっともっと吾妻川の渓流は澄んでいて綺麗な川であった。当時は歩くしか交通手段がなかったので、いろんなものが目に入った。カワセミもその一つ、川にせりでた木の枝に止まり、ヤマメを見つけ、一気に
ダイビング、元の位置に止まると、口に咥えたヤマメを木に叩き付け、同じ動作を繰り返し行い、頃合いを見て頭から飲み込んだのだった。余りにも綺麗な鳥なので、見惚れていたが、生きるための残虐な場面に遭遇し、弱肉強食の世界に生きていることを実感したのであった。追良瀬川、鰺ヶ沢町の赤石川でも川釣りをしていて見かけたことがある。とにかく綺麗な鳥だ。あの色の美しさは、格別以外のなにものでもない。

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白神山地 

 【釣りざんまい】 

 吾妻川は深浦町から約2㌔の地点で南股沢と東股沢 に分かれ、概ね12㌔を流れ日本海に注いでいる。私は 昭和23年樺太の真岡から白竜丸に乗り、函館に着き、 庄内平野の真ん中(鶴岡市と酒田市中ほど)の余目町に 引揚げ、24年に深浦町の長慶平開拓地に入植した。この 

開拓地に行くには東股沢に沿った凸凹道があるのみだ った。川を覗くと、帯状にうねりながら、鮎の大群が 泳いでいた。鮎の友釣り(鮎の掛釣の一種。鮎掛鉤をつけた糸に生きた 鮎を囮としてつないで水中に放し、攻 撃に来た他の鮎を鉤にかけて釣る)風景がしばらく続い 

たが、今はまったくその影すら見えない。私は35年頃からこの東股沢を我が家の庭のように、釣ざんまいをしていた。下流3㌔あたりからヤマメが釣れ出し、その 上流からはイワナが釣れ始めしばらくの間ヤマメとイワナが入り混じって釣れた。カコベ(魚籠)に15㌢~20 

㌢前後のヤマメ・イワナを半分ないし、3分の1釣れれば御の字である。40年頃と思うが、6㌔地点の津軽平地区当たりから旭ケ丘地区へかけての支流があり、この細い小さな川に、ヤマメの群れに出合った。およそ百匹越えのヤマメの大群は実に壮観だった。そして岸辺の奥に身を隠していたサクラマスを発見したのである。静かに手を差し入れ、サクラマスの尾鰭に近付けても、平然と泳いでいた。尾鰭の少し上の部分を素早く掴んで砂場に打ち上げた。サクラマスは既に産卵を終えて、息絶え絶えの状 

態だったのだった。サクラマスはヤマメの雌が海に下り、成長して産卵のために川に遡上するという。そう言われてみれば、なるほどと思う。釣り上げたヤマメは、全部雄だったからである。イワナは時々雌もいたように思う。 

30年も前の話であるが、良き、楽しい時代だったとつくづく思う。今は西田敏行と三國連太郎コンビの「釣りバカ日誌」を楽しんでいる。 

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 白神山地

 【ウグイ(アカウオ)】

 赤石川は白神山地を代表する川の一つで、秋田県との県境二ツ森付近に源流がある。摩須山岳の北方滝川と合流し、世界遺産の核心部を北に向かって流れ、鰺ヶ沢町の赤石地区で日本海に流れ込む。その流路延長は実に45㌔に達する。

 ウグイの体長は最大50cmに達するが、30cmの前後の個体が多い。体色は全体こげ茶色を帯びた銀色で、体側に一本の黒い横帯が走る。腹部は黄色味を帯びる。

腹鰭、尻鰭、と尾鰭後端部は黄色味を帯びる。春になるとメス、オスともに鮮やかな三本の朱色の条線をもつ独特の婚姻色に変わる。「アカウオ」「サクラウグイ」

と呼ばれているが、津軽では「アカハラ」という。

 ウグイは淡水棲で、河川の上流から下流に幅広く生息している。群を組んで泳ぎ回る習性がある。食性は雑食性、水生昆虫、ミミズや残飯などなんでも食べる。

 昭和37年5月頃だと思うが、友達と赤石川に向かった。川幅が広く、青々とした瀞も数多くあったが、釣れなかった。川尻のところまで来ると、子供たちが40~50㌢の見事なアカハラを手にしていた。小指ほどの太さの根切り虫を子供たちからもらったところ、直

ぐに釣り上げた。海から遡上した、あのウグイのウヨウヨと群れを成す光景は今でも脳裏に焼き付いている。 

 赤石川は7月、アユの解禁になると大勢の釣人で賑わう。釣り場の核心部は、熊の湯温泉よりも下流の種里地区、鬼袋地区で、瀬と瀞が連続するあたりである。

赤石川のアユは体色が金色を帯びていることから、「金アユ」と呼ばれ、大きさ、味のよさに定評がある。

 鰺ヶ沢俳句大会の際、赤石川の土手に炭火をおこし、アユの串焼きを行ったことがあった。あの塩焼きの味は決して忘れることはできない。

津軽歳時記

 白神山地

白神山地 

 【アメマス(雨鱒)】 

 追良瀬は白神山地を代表する川の一つで、源流域は 世界遺産に登録されている核心地域にあり、青森県秋 田県の県境になっている稜線付近にある。山間部に狭谷をつくって流れ、稜線一帯はチシマザサが生茂っていて見通しはまったくきかない。追良瀬川は、数えき れないほどの支流から形成されている。この支流の水 を集めて日本海(深浦)に注いでいる。その流路延長は 実に33・7㌔に達する二級河川である。 

 アメマスの体長は14~70㌢程度である。産卵期か ら孵化までの生活はイワナとほぼ同じであるが、より 冷水域を好むとされている。サクラマスやサツキマス のように、孵化後すぐ降海せず2年から3年程度河川で過ごし、メスのほとんどが降海するが、残留して産卵するものもいる。降海したメスたちは海で逞しく成長し、河川に遡上する。 36年5月頃、雨が降り続いて、川は泥水で濁っていた。通称「オヤマ」の集落から1㌔ほど下流のカーブの切れ目あたりで釣糸が流れなくなった。木の根っこにでも引っかかったと思い、恐る恐る引いたところ、動くではないか。静かに息を殺して引き寄せる。想像を絶するアメマスの強烈な引きに驚愕してしまう。テングスが切れれば第一貫の終りでる。幸いにしてこちらの川岸が砂地であったので、どうにか仕留めることができた。50㌢超えの丸々と太ったアメマスだった。 銀色に輝く美しい魚体とその側面に並ぶ美しい白斑点の美貌は人の心を魅了する。魚と人間の知恵比べ、なにもかも忘れて真剣勝負を試みる醍醐味は忘れることができない。追良瀬川には、サケ、マス、サクラマス、アユなどが棲んでいるが、現在はアユ以外の魚は禁漁となっている。 


 草野 力丸

 【イワナ(岩魚)】

 イワナは白神岳と向白神岳に端を発し、その間を流れ日本海に達する13・7㎞の笹内川(深浦町)に多く生息している。イワナは体長18~22㌢を超えるとオス・メス共に成熟し、数年にわたって繁殖行動をおこなう。

体色は褐色から灰色。体には背部から側面にかけて、多数の白い斑点が散らばる。夏でも水温摂取15度以下を好む。貪欲な肉食性で、動物性プランクトン、水生昆虫、ザリガニ、カエル、サンショウウオ、時にはヘビなども食べる。樹上から落下したものは何でも食

いつく習性がある。ほとんどが一生を淡水で過ごす。

河川の最上流の冷水域がイワナ、上流のある地点を境に、それより下流がヤマメとなる。イワナは上品な白身魚であるが、やや癖のある野趣の香のする塩焼きが最適であろう。焼き干しもだしに使う乙な味である。

 私の趣味は釣り、カメラ、俳句の順になる。性格的に一度はまれば熱中するタイプなのである。昭和30~40年にかけて毎日のように釣りを楽しんでいた。38年頃だと思うが、巨大なイワナを笹内川の上流で釣ったことがある。いずれも60㌢超えの3匹であった。

行き交う人は皆驚き「こんな魚どこで」と聞いたが、

とぼけて笹内川上流としか言わなかった。それ以後、何回も同じ場所に心ワクワクさせながら、釣糸を流したが、釣れなかつた。ガックリしながら戻ったこと数しれない。
32年頃、笹内川へ流れる通称二瀬沼と呼ばれた沼があった。秋も深まる頃になるとイワナに似た魚が砂場に集まり産卵していた。40~50㌢の大きな魚であった。沼の下流には断崖絶壁があり、どうして棲みついたのか不思議でならない。

【モリアオガエル】
無尾目。アカガエル科。体は42~82mmほどだが、メスの方が大きい。オスは咽頭嚢を持ち、これを膨らませて鳴く。指先には吸盤があり、木の上での生活に適応している。第3指が長く、指の間には水かきがある。体色は個体差が大きく、全身が緑色のものもあれば、全身褐色に斑点の個体もある。

繁殖期以外は主に森林に生息するが、4月~7月は、生息地付近の水田、湿地に集まる。成体は肉食性で、昆虫類やクモ類を捕食する。天敵はヘビ、イタチ、アナグマ、タヌキなどである。産卵は水面上にせり出した木の枝、草の上に粘液を泡立てて作る。泡で包まれ

た卵塊を産みつける。繁殖期になるとオスが産卵場所に集まり、鳴きながらメスを待つ。メスが産卵場所にやって来ると、オスが背中にしがみつき産卵行動が始まるが、卵塊の形成が進むにつれて1匹のメスに数匹のオスが群がる場合もある。

 昭和36年から私は広報ふかうらを7年間担当した。当時はカメラ凝って、深浦の植物「花の写真集」を出版するのを夢みていた。毎朝通勤前に行合崎海岸へカメラを手にしていた。ここには百種類ほどの草花が生育していると言われていた。連休のある日、十二湖へ出かけた。国道から山手に300㍍ほど入った右手に小さい池があり、湿地帯となっていた。そこで毛氈苔を発見した。毛氈苔は背の低い草で、茎は短く、葉を放射状に出す。葉は円形で一面長い毛あり、その先端から甘い香りをする粘液を出す。これにつられて虫がくっつくと粘毛と葉が包むようにしぼみ虫を消化吸収すると言う。シャッターをいろんな角度から切った。その奥の池にたれた木の枝に白い泡状のものを発見した。咄嗟にモリアオガエルだと確信した。雨が降り続いた

3日後にとくなが持参で駆けつけると蛻の殻であった。


 草野 力丸

 【トノサマガエル】
無尾目。アカガエル科。雄の体長は38~81mm、雌の体長は63~94mm。雄より雌の方が大きい。後肢が長く、飛躍が強い。雄の背面の皮膚は比較的滑らか、体色は茶褐色、雌は白色である。背中線上に明瞭な白または黄色の線が入り、背面に黒
の斑点が入る。平野部から低山地にかけて、池の水辺付近に生息する。春から秋にかけて活動し、冬は冬眠する。肉食性で昆虫類のクモなどを食べるが、貧欲で口に入る大きさであれば、小型のカル、ヘビなども捕食する。天敵はヘビ、カメ、サギ、モズなどである。動作は敏捷で、人間が道具なしで捕獲するのは難しい。
なわばり意識が強くしばしば共食いすることもある。
繁殖期(4~6月)になると雄は水田などに集まり、夜間、両頬にある声嚢をふくらませ、大きな声で鳴く。この鳴き声は雌を誘うと同時に、なわばり宣言の意味のあ
るという。
思えば、本町の外れ中沢地区に、田んぼをつぶして宅地に造成した所の一角に家を新築、開拓地から移り住んだのが昭和45年であった。夕方から夜にかけてカエルの大合唱が始まる。どんなカエルが鳴いているのか、その正体を捕まえようと田んぼにゆくとぴたり
と鳴き止んでしまう。歩を進めると、鳴き止んでいたカエルがすぐ復活。カエルにからかわれている自分に腹が立ったものだ。幼いころ、「解剖、解剖」と叫ん
でお尻に草の茎を差し込んで、空気を入れ、水に浮かばせたりして遊んだシッペカエシなのかも知れない。
カエルのデート場所が田んぼ、あまり詮索するほどのものではない。しかし、あんなに賑やかに鳴いていたカエルの声がほとんど聞こえなくなった昨今である。